STORY

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OUR HISTORY since 1970

部屋を片付けていたら昔の写真が出てきました写真に映っていたのは、パイナップルを求めて海を渡った若き祖父の姿。彼がなぜ、この青島の地でパイナップルを拡めたいと思ったのか、今となっては知ることも叶いません。微笑む祖父の眼差しに、一瞬波打つ心の鼓動を感ました。これからも青島の美しい海の記憶と甘酸っぱいパイナップルの味をあなたに贈り続けていきたいと思います。

AOSHIMA BOOKS&PINEAPPLE店主

昔の写真 - パイナップル農園

創業者である私の祖父は、鹿児島県出水市の出身です。ビジネスパートナーでもあった友人の勧めで、宮崎の青島でパイナップルの卸業を始めることになったと聞きました。創業当時は、沖縄や台湾からパイナップルを仕入れていたそうです。やがて、リーズナブルで品質のよいフィリピン産のパイナップルに変更。現在もフィリピン産を使用しています。

祖父は1960年代後半に、キャリーバッグ一つでパイナップルの為に海を渡りました。一体どういった想いを背負ってそんな大胆な行動をとったのでしょう。祖父の背中に浪漫を感じます。

昔の写真 - パイナップル販売

日本に帰った祖父は、パイナップルの卸売り業を営みます。同時に、祖母が冷やしたパイナップルをカットし、そのまま食べられるように商品化した「冷やしパイナップル」を売り始めます。手軽に食べられる冷やしパイナップルは、宮崎の南国イメージと相まって、青島観光の名物のひとつとなりました。

1980年代の宮崎ハネムーンブームにより、全国から観光客が押し寄せる頃、パイナップルは青島の味とも言えるまでになりました。現在は売り子のおばちゃん達は見なくなったものの、冷やしパイナップルを販売しているお店はあります。
パイナップルの甘酸っぱい味は、当時を知る人にはノスタルジーを感じさせ、また当時を知らない人には南国ならではの爽やかな思い出となるでしょう。

昔の写真 - パイナップルを食べる男性たち

これは余談ですが、私の父は宮崎初のサーファーで「パイナップルの浜田」と呼ばれ親しまれていたと聞いています。昨今は全国からサーフィン移住者の方も増えているため、少しだけ誇らしい父の思い出の写真も添えておきたいと思います。

昔の写真 - サーファー

SIDE STORY #1

梅雨の晴れ

梅雨もそろそろ明けようかという土曜日の朝。なんの予定もない僕は、青島に向うことにした。特に理由があったわけでもない。しばらく訪れていなかった青島が見たくなった。少し雨が降りそうな空を尻目に、傘を持たず車に乗り込む。道はさほど混雑しておらず、程なく到着し、青島駅の周辺を散策した。久しぶりの青島は、いかにも若い女性が好みそうな店が立ち並んでいた。そんな中、一件のカフェが目に留まる。「AOSHIMA BOOKS & PINEAPPLE」とある。本とパイナップル。なぜパイナップルなのか。少し考えたが、答えは思い出の中にあった。幼少のころの思い出。青島では冷やしパイナップルを売って歩く、所謂売り子のおばさん達がいたのである。青島を訪れる度にそのパイナップルを齧っていたものである。興味が先立ち、まだ新しい木製の扉を開けてみる。

AOSHIMA BOOKS&PINEAPPLEの入り口

南向きの店内には陽の光が差し込んでいて、南国のカフェとイメージするに近しいものだった。瞬間、焼き菓子の甘く芳ばしい匂いに意識を奪われる。僕はコーヒーと焼き菓子をオーダーすることを早々に決め中へと踏み入る。店主であろうか、ふわりとした印象の女性と優しく挨拶を交わし、お好きな席へどうぞと促された。初めて訪れるカフェに於いて、どこに座るかと言うのは僕にとって極めて重要である。なぜなら、そのカフェが気に入るか否か、気に入ったとして、再訪したときもその先もずっと同じ席に座りたくなるのである。とはいえ吟味していては変な客だと思われるに違いない。慎重かつ迅速に店内を見渡してみた。ふと、壁に子供の絵とも、ある種のアートとも取れる刺繍入りのキャンバスが目に入る。店主曰く子供達の絵を刺繍にしたものだそうだ。なんとも温かい店作りであると感じると同時に、売れそうですねという下世話な言葉を飲み込んだ。奥にも席がありますよと案内されて店内のトンネルを潜ると、さっきまでとは様子が違い、少し薄暗い部屋が現れた。映画に見る屋根裏部屋のような光量の部屋で、大きな本棚が設置してあった。店名にBOOKSと書いてあったことを思い出す。ここに座ることに決め、予定通りコーヒーと焼き菓子、パイナップルケーキを注文した。

壁に立てかけた本

店主によると、ここはパイナップルジュースのお店だそうで、人気のメニューはコールドプレスジュースなる何やらヘルシーな飲み物と手作りのランチらしい。開店して間もない時間であったため、僕がこの日最初の客であるようだ。改めて店内を見渡すと、シーリングファンが心地よく回転していて、例の感染症対策のためであろう、窓は開かれているものの、初夏の海辺に大凡漂う湿気を纏った生暖かい空気はそこにはなく、快適な温度が肌を撫でてくれた。コーヒーを待つ間、再び立ち上がり本棚の前に。特に決められたジャンルがあるわけではないようだ。小説、随筆、写真集のようなものから洋書、古い雑誌や児童図書までが特に規則性を帯びるわけでもなく並べられていた。購入できますと表示されているため、掘り出し物をゆっくりと探すのもいいななどと考えているうちにコーヒーとパイナップルケーキが届いた。

棚に並ぶたくさんの古本

夏でもコーヒーはホットが好きだ。アイスコーヒーが嫌いなわけではないが、冷たいコーヒーは飲み物としての役割りが変わってくる。酸味の強いコーヒーが苦手だったが、ここのコーヒーは酸味、苦味、香りのバランスがフラットでとても飲みやすかった。続いてパイナップルケーキを一口齧る。台湾のお土産などでよく配られるモノであるがこういったカフェで手作りをしているというのはすごく興味が湧いた。なにより入店したときに立ち込めていた焼き菓子の匂いが否応なしに期待をさせる。程なく口の中にパイナップルの香りが広がる。美味い。甘みは抑えられているため、紅茶もよく合いそうだなと思いながら食べ進める。パイナップルの香りが面前にそよぐ。
幼少の時分、青島という場所は僕にとって、おそらくは宮崎で育った子供にとって少し特別な場所であった。
車でほんの30分の距離ではあったが、当時は小規模ながら遊園地もあり、夏には海水浴に訪れる場所でもあった為、ここを訪れるときは”何か”あったのだ。

本を読むスペース

高校生の頃は初めて出来た彼女と訪れた。まだまだ精神的にもひどく子供であった僕は、大して面白いことも言えず、相手を楽しませることも出来ずにいた。少なくともそう思っていた。同時に、一緒にいるだけで楽しそうにしていた彼女を、あまり理解出来ずにいた。女性はわからない。これは今になってもそうである。ふと、当時でも怪しく思えた相性占いなるゲーム機を見つけ、是非やってみたいと彼女は言った。ああいった機械が設置してあったのも、ハネムーンブームの名残りであったのだろうか。あまり相性が良くないという診断結果がプリントアウトされた時の彼女の寂しそうな表情が20年ぶりに思い出の奥底から現れた。敢えて俗に言えば甘酸っぱいという表現になろうか。

気付けば店内は女性とカップルのおしゃべりで満ちていた。ランチを楽しむ人もいる。入店してからゆうに2時間は過ぎていた。このままもう少し思い出に興じたい気持ちを抑え、重い腰を上げる。居心地のいい場所を立つこの瞬間は、仕事の朝の起床に似ているななどと考えながら店を後にする。どうせまた、来ることになる。扉を開くと、外はすっかり晴れていた。

青空の下・パラソル
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